読書メモ『起業家の勇気 USEN宇野康秀とベンチャーの興亡』児玉博(著)

『起業家の勇気 USEN宇野康秀とベンチャーの興亡』児玉博(著) を読んだので、書籍から得た知見をご紹介します。

『起業家の勇気 USEN宇野康秀とベンチャーの興亡』児玉博(著)

背景 起業家 宇野康秀氏のことを知りたい

『ネット興亡記 敗れざる者たち』を読んで、宇野康秀氏のことをもっと知りたくなり、この本を読みました。

以下、印象に残った箇所の引用とメモです。

6 インテリジェンス創業

億単位の売上げとなり、翌年の給与は十八万円から三十万円に上がった。しかし、社として最もお金を注ぎ込んだのは、採用の部分だった。 リクルートの人事部でアルバイトをしながら、採用の要諦を叩き込まれた前田は、そのノウハウをそのままインテリジェンスに持ち込んだ。〝自分よりも優秀な学生を採れ〟 これは社員だけではない。インテリジェンスの経営の柱となった〝米櫃〟の「ステューデントレポート」を作成するために必要な就職活動中の学生、さらにレポートを売るための学生アルバイトにも高い資質を求めた。「とにかく頭のいい子を採ろうよ。地頭のいい子」 宇野は採用にはこだわった。

📝自分よりも優秀な学生を採る。

インテリジェンスにアルバイトとして出入りしている学生達を焼肉に誘い、それとなく勧誘する。宇野の口説き文句は、傍で聞いてる仲間でさえ赤面するほどだった。 宇野はよく響く声で、学生に魔法をかけるように説いた。「一緒にこの会社を日本を代表する会社にしていこうよ」「いつかリクルートを越える企業になれるよ。僕らは、リクルート急成長の秘密を最もよく知っている四人なんだから」

📝学生への採用口説き文句

創業三年目で、社員は三十人になろうとしていた。採用には創業メンバーが総出で現場に立った。 受付に並ぶ学生を飽きさせないための担当者を置き、これはという学生には、間髪を入れず食事(大半は焼肉だった)に誘い、飲みに連れ回した。学生を連れていく焼肉屋、飲み屋の場所は必ず会社に連絡を入れ、皆がそれを共有した。島田が学生を連れて焼肉屋に行けば、後からそこに宇野、前田、鎌田らが顔を出した。飲み屋でも同じことだった。創業メンバーは毎日のように焼肉を食べることになった。

📝創業3年目の社員数はインテリジェンスと近い。
採用には創業メンバー総出で立つ。
採用会食場所の情報は社内で共有。

宇野はさらに、もう一つ大きな判断を下した。インテリジェンスが人材派遣業という新規分野への参入を検討していた同じ時、宇野はある社長からこんな質問を受けた。「宇野君の会社、社員何人になったの?」「三十人くらいになりました」 宇野がこう答えるや否や、その経営者は一人呟くかのようにこう言った。「大きくならねえんだよな、三十人では」 宇野は真意がわからず、困惑の表情を見せた。 その社長によれば、三十人までが一人でマネージメントできる限界なのだという。それを乗り越えるには、何らかの手立てが必要なのだとも。

📝三十人までが一人でマネジメントできる限界。

7 新入社員、藤田晋

孫が主張した出資金は七百万円だった。最大手である松下産業や東芝をも上回る金額を孫は主張し、譲ろうとしなかった。「弱小の会社が小さなブースを出しても見向きもされない。大手よりも大きなブースで勝負しないと、僕たちは生き残って行けない」 最初にブチ上げてみせる。孫のこうした考え方、やり方は今も綿々と引き継がれている。

📝最初にブチ上げて見せる。

〈私は常に尊敬していた偉人たちと比較して、とてもそんな特異な能力を持ち合わせていないという事を自覚していました。しかしながら、自分の能力が欠けていても優れた能力をもった人達を集める事ができれば、〝自分たち〟で偉業ができると信じていました〉

📝自分もこの考え方に近い。

9 血染めのわら人形

不満を口にする者たちに宇野は決して声を荒らげたりすることはなかった。不満は不満として、最後までその不満の中身に耳を傾けた。そして、すべてを受け入れた上で、自分が信じる進むべき道への協力を仰いだ。

📝不満は不満としてその中身に耳を傾ける。

以上、先輩起業家から学んでいきたい、現場からお送りしました。