読書メモ『岩崎弥太郎と三菱四代』河合敦(著)
『岩崎弥太郎と三菱四代』河合敦(著) を読んだので、書籍から得た知見をご紹介します。
三菱一号館 歴史資料室 を訪れる機会があり、三菱財閥の創業史を学ぶために、この本を読みました。
以下、印象に残った箇所の引用とメモです。
弥太郎は社員に対し「俺は国内の汽船会社に競り勝ち、さらに日本に君臨している外国汽船会社を追い払い、やがては自ら世界に進出してたくさんの海外航路を開き、どの港にも日の丸がはためくようにしてみせるのだ」と語った。 大きな夢を語れなくては、リーダーとしては失格である。数カ月先のちまちました営業目標をかかげて社員を叱咤するだけの上司に、社員は決して魅力を感じはしないだろう。 偉大な起業家の多くは、部下に対して、仰天するような大風呂敷を広げる。しかも当人は本気でそれを実現しようとしている。 これは、じつはとても大切なことである。
? リーダーは大きな夢を語る必要がある。
弥太郎はまた、経費を無駄にしたり、会社を私物化するのを絶対に許さず、常に目を光らせていた。あるとき、弟の弥之助が白紙に領収書を貼り付けているのを見た弥太郎は、 「貴様は立派な紙を使っているが、全国の支社が皆白紙を用いて貼ったならば、年間幾らの費用になると思うか。使い古しの反古紙を用いた場合と幾ら違うか、計算してみよ」(『岩崎弥太郎』南海魚人著) そう弥之助を叱りつけた。そこで弥之助が実際に計算してみると、なんと四百円もの差が出たので驚いたという。
? 無駄な経費、会社の私物化に目を光らせる。
どんなに社長の弥太郎が偉大でも、会社はやはり組織である。社員が有能でなければ、いくらトップが奮闘しても、絶対に会社は伸びていかないだろう。 いかにして良い人材を集めるか、また、育てていくか、それが、会社の成長・存続にとっては重要なのだ。
? トップが偉大でも、良い人材を集め、育てていかないと、会社は成長・存続できない。
もし私たちが、これまでの意識を変えるなら、歴史は集団意識が目指す方向へ進んでいくはず。国家という言葉に抵抗があるなら、公共と置き換えてみてもいい。公共のために自分は働くのだ。そうした遠大な理念が、いまの日本人には必要だし、このような仕事の鳥瞰化が、沈滞しきった日本経済を救うことにもつながるのではないかと、いま私は密かに思っている。
? 公共のために働く。
子供たちを甘やかさず、厳しく鍛え上げる。 それが弥之助の教育方針であり、だからこそ、岩崎久弥も、小弥太も、そして俊弥も、実業界に名を残す名士となることができたのだ。金にあかせて、子供のわがままを聞き、何でも買い与えてしまう馬鹿な親たちに、ぜひともこの事実を知ってもらいたい。 我慢する心ーーーすなわち耐性というものを幼少時代に叩き込まなければ、人は世の中の荒波を渡り切ることはできないのである。本当に子供のことを可愛いと思うなら、親たるものは、子に対して厳格であらねばならない。
? 弥之助の教育方針。
現在においてでさえ、政治家と無縁な大企業など一つも存在しないことは、誰もが薄々気づいていることだ。ゆえに、明治の世にあって、政治とクリーンな関係を保つこと自体が、絵空事であることをまず理解していただきたい。 いずれにせよ、二度と三菱が政府から排除されることのないよう、弥之助はさまざまな政治家と緊密な関係を持とうと努力した。
? 政治家と無縁の大企業など存在しない。
弥之助は、富豪の社会的責任というものを晩年強く思うようになっている。とくに英国から帰った後、その気持ちは強まったようで、教育や福祉、文化事業に多大な貢献をした。いまでも私たちは、その恩恵をうけることができる。 一つは静嘉堂文庫である。
? 富豪の社会的責任。
たった一度しかない人生を、臆病のために台無しにしてしまっていいのだろうか。 よくよく問いつづけて、思い切った決断に出るのもいいのではないか、そう考える。 久弥は、三菱社長という地位を未練なく捨て去って、元気なうちに第二の人生を謳歌したのである。要は、勇気の有無なのだろう。
? たった一度の人生を臆病のために台無しにしていいのか?
以上、岩崎弥太郎と三菱四代から多くの学びを得た、現場からお送りしました。